2012-09-18

砲撃と隣り合わせ


今日は、アレッポから数キロの郊外の村、カファル・ハムラに移った元教え子のAと再び話すことが出来た。彼女はこの数日オンラインにはいたようだが、いつもすれ違いだった。

彼女のいるカファル・ハムラの村は、甥のハムドゥのいるビレラームーン村の隣村なので、彼のことはわからなくても、せめて村の状況だけでも聞ければと思った。そのことを伝えると、彼女は、もし携帯番号でもわかったら、今電話をかけてみますよと言うので、かけてもらうことにした。

しかし、すぐに通信圏外のメッセージが流れたらしく、「近頃、毎日どこかで空爆があり、空爆のある地域では電話が切られるのです。さっき戦闘機の音が聞こえていたから、たぶん今に、始まるんだと思います」と言う。恐ろしい現実なのだが、彼女は淡々と伝えてくれる。

あなたのところは?と聞くと、「今のところは大丈夫です」「ただ、昨日の夜まで断水で、タンクの水がもう尽きかけていました。ようやく夜に水の来た音がして、ほっとしているところです。」ということである。「水も、電気も、電話も、みんな好き勝手に切られるけど、さすがに空気だけは切れないね、ってみんなで言ってるんです。」

愚問と思ったが、彼女に質問をしてみた。今、シリア国民のどのくらいが政府を支持していると思う、と。彼女の考えでは、30%以下ではないだろうか、と言う。「革命」当初は少なくとも半数は政府を支持していたと思うが、流血の惨事などを受けて、今はあるいはこれ以下かもしれない。勿論、残りがすべて自由シリア軍を支持しているわけではない。と言うのは、一部は、彼らの存在が都市への攻撃を誘発していると考えているからだ、と簡潔に答えてくれた。

「だけど」と彼女は続ける。「自由シリア軍がいてもいなくても、爆撃はありますよ」「ただ、彼らの作戦はまずいのではないかと・・・」と書いてきたすぐ後だった。

「ごめんなさい、今家の横で、砲撃が始まったみたいです。シェルターに行かなきゃ。」

そして、彼女はオンラインから消えた。


(追記:このあと、30分後に、彼女は再びオンラインに来た。「今日は二発だけでした。こんなことにも慣れるもんですね」と報告してくれた。小学校の先生である彼女は明日、「学校が始まるらしい」ので、とりあえず行ってみようと思っている、とも言っている。)

2012-09-11

臨時召集


昨夜2週間ぶりで、アレッポとイドリブの友人たちがオンラインにいた。そして、みんな、「まだ生きてる」というメッセージを残してくれていた。

FBの、緑の小さな点が彼らの名前の横についている。この期を逃すまいと、急いで話しかけた。教え子のWは、この2週間の間に、彼の家の建物の屋上が砲撃を受け、大きな被害を受けたと語る。でも、「とりあえずウチの部分は崩れませんでした。まだ、元の家に住んでます。」という。

彼に、アリーハのAのことや、甥っ子のハムドゥーのことを聞いてみた。Aは、アリーハからイドリブの町に移っているが、数日前に連絡をとり合い、とりあえず無事を確認したという。またハムドゥーには、こんな状況の中、先日大学に行き、偶然出会ったというが、彼の村は、アレッポの激戦区とまでは行かずとも、いつどこで爆撃にあったり、弾が飛んできてもおかしくない状況になっていると話していたという。この2週間で、状況はあの村では悪化しているようだ。

Wは続けた。「でも、こんな中で、僕たちシリア人は、決して捨てたもんじゃないことを確認している。余裕のある人は、進んで被害にあった人や、生活できなくなった人を、物質的にも、精神的にも助けている。シリア人は必死で、耐えて、しのいでいる。国際社会からの支援なんか、もうどうでもいい。期待するなんて、この状況じゃ、もう意味がない。自力で、やるしかないんです。」

先生、気にしなくていいよ、と彼は続ける。出来ないことは出来ない、仕方ないんだからと。

何と返事すればいいのか。ついこの前まで、私は彼らを「彼ら」という代名詞で呼んでいなかった。私にとって、彼らは「我々」だった。なのに、私は今、この「国際社会」の片隅にいるしかなく、「彼ら」にかける言葉さえ見失っている。私は・・・と続けようとするが、言葉にならない。その私の気持ちを汲んでくれたのだろう。また、これからもネットが開いたら、声をかけてくださいね、と彼は書いてくれた。

ラタキアのAからも、今朝メッセージが入っていた。そこには、数日前、臨時召集令状が来たらしいことが書かれていた。彼は今年の初めに兵役を終えたにもかかわらず、一ヶ月以上前に、軍隊から臨時召集が来たと言っていた。そのときは、それほど深刻なものではないと思っていたが、今回は再度の催促のようである。

同じシリア人を殺すための軍隊には行かない、行きたくないと、若い友人たちはすべて口をそろえて言っている。Aも例外ではない。どうも、彼はこの2度目の臨時召集のあと、強制的に召集されるのを恐れ、自宅をでて、友人宅に「逃げ込んで」いるらしい。しかし「逃げおおせるものではないと思う。だけど、どうしたらいいのか、わからない。」「今、同じシリア人を殺すための軍隊に誰が好んでいくと思いますか?でも、この前、友達が逮捕された。召集を拒否したんです。」

シリアでは、傷をえぐるような毎日が続く。

2012-09-03

過ぎ去る夏

アレッポとの通信は、まだ、ほぼ途絶えたまま。しかし、数日前、数分間だけ、教え子のAと話すことが出来た。状況が変らないことには違いないが、日を追うごとに具体的な問題がでて来ているらしいことを彼女は伝えてくれる。

例えば、彼女の家である。今、彼女の家には、サラーハッディーン地区の家を潰され、逃げてきた兄弟の2家族が同居している。しかし、別の地区にある彼女の大家の自宅が爆撃で潰れ、彼女一家(今となっては3家族)の借りている家に住まざるを得なくなったらしく、家を明け渡してほしい、と言って来たという。仕方なく、ハレイターンという、アレッポ市街から15分ばかりの村にある親の実家にみんなで移ることにしたらしい。

まだ、行く先があるだけマシです、と彼女は言う。行く先さえわからない人が多いのだからと。とにかく、彼女らは今、引越しをせざるを得ない。それも無事に済めばいいのだけど・・・。

彼女は小学校の先生をしている。9月になって学校が始まったら、あの田舎から通うのだろうか、と心配になったが、それよりも何よりも、この新学期、アレッポで学校を開くことが出来るのだろうか?という疑問が残る。

教育省は、勿論、新学期は例年通り始めると通達しているらしいが、彼女は言う。「今、学校はどこも避難民でいっぱいです。もし学校が始まったら、彼らは行き場がない。通達は、建前だけ。実際どうするべきなのか、検討がつきません。」「しかも、アレッポでは、親はこんな状況の中、子どもを学校に送るのを非常に恐れています。アレッポから出た人もいっぱいいるし。まともに学校が開けるとは思えないですよ。」

実際問題として、子どもだけではなく、大人も町をまともに歩けるのだろうか。

たまたま、今日オンラインにいたホムスのSちゃんに聞くと、彼女のアレッポに残る両親は、ようやく昨日、少しだけ外出することが出来た、と言っていたらしい。しかし、それも限られた地域のみで、アレッポの中心部でも一部(サバア・バハラート周辺)は、狙撃者が「うようよ」居て、危険極まりないらしい。

夏はもうすぐ終わる。

普通ならば、新学期のかばんを買ったり、文房具をそろえたりし始める時期だ。娘が就学中は、この時期、制服を買いにいったり、色指定のノートのカバーを探しまわった。この時期、秋を運んでくる涼しい風の中、夕方の町に出るのは、それなりに楽しみだった。

辻つじにいるとうもろこし屋の、甘いとうもろこしをほうばるのも楽しみだった。
あのそぞろ歩きの宵の、店の明かりが、ぼうと脳裏に蘇る。