2014-04-22

4度目の春




シリアの文化財への侵害は、慢性化しているようだ。アレッポのスークの炎上や、大モスクのミナレットの破壊は文化財の喪失以上の意味をもち、そこをわが町として暮らしてきたものの心をえぐった。しかし、その後も、多くの遺跡や史跡が攻撃に曝され続け、また埋蔵文化財の盗掘も後を断たない。



シリア考古総局やイギリスのDurham大学はある程度定期的にその状況を伝える報告書を出しているが、侵害を防止する術をもたない。これらの機関は現地のネットワークを通じて情報を得ていると思われるが、全てを網羅出来る訳ではない。



この状況を憂慮して、国内外のシリア人有志が昨年よりAPSAThe Association for the Protection of Syrian Archaeology シリア考古学保護協会)というグループを立ち上げた。シリア国内に残り、最も現場に近い場所で活動をしている有志たちと組んで、出来るだけ公正で、客観的な被害状況を記録しようと動いている。



状況の正確な記録をとるのは、現在のシリアの治安状況を鑑みると、それだけで極めて危険な作業であるが、彼らは使命感をもち誠実に活動を行なっている。このグループはフランス人考古学研究者の支援も受け、フランスで団体登録を行なっており、組織としても正式に活動を行なっている。



そのメンバーの一人Sと2月にトルコで会い、私もこのグループのメンバーとして名前を連ねることにした。Sはフランス在住だが、若干の活動資金がフランスからおりたということで、国内メンバーに若干の記録用機材を渡す予定だと言っていた。彼らの撮った写真の一部は、FBページに継続してアップされている。



とはいえ、人命さえがあまりにも軽んぜられている現在のシリアでは、文化財の侵害は見て見ぬ振りをされている感さえある。



そんなおり、結局シリア出国を果たせずに、現地に残っているハムドーから久々にメッセージが来た。相変わらずアレッポ郊外の極めて危険な地域を動き回っている。メッセージは、文化財侵害に対して、彼が出来ると感じる所を書いてきていた。



ハムドーはフットワークが結構軽く、どんなに状況の悪い時でも、そこら中を見て回る。その際、文化財の侵害の現場にしょっちゅう遭遇するらしい。彼は未だにアレッポ考古局に籍を置くが、職員としては開店休業状態である。しかし、考古学を学んだ者としてその度に、彼なりに侵害に対して、その非を咎める。



「問題は、『解放区』では僕には『正式な権限』がないので、結局は実効的なことは出来ないんだ」



このような混沌の中で、『正式な権限』もなにもないのではないのか、と聞くと「いや、若し『権限』があれば、ある程度の侵害に対して『力』が行使できる。少なくとも、ある程度の歯止めをかけることが出来るはずだ」という。



シリア北部、特に彼がよく把握しているアレッポやイドリブ地域は、現在ほとんどが反体制側の「解放区」になっている。反体制側は、一昨年頃から一種の自治政府的な形でこの地域を「おさえて」おり、学校やその他のサービスの一部を動かしている。



文化財関係でもいわゆる「文化財課」という部署があり、その中に教え子の一人がいたが、状況の悪化のため最終的に彼はトルコに逃れ出てしまった。他にも、もと工学部建築科の学生が担当者として数人いると聞いているが、人数的にも、また予算的にも出来ることは、極めて限られている。こんな中で、多くが村落部にある遺跡の監視などは人材的にも不可能ではないのか?



しかしハムドーは言う。「僕の周辺にも『有志』はいる。しかも、僕たちは常に動いているから、人づての情報じゃないものを持っている。ないのは『正式な権限』なんだ。確かにこんな状況だけど、遠巻きにするような文化財への対応しか出来ない、ということはない。僕らみたいな者をどうして使わないんだ?僕らは遺跡をとりまく生の状況を把握しながら行動できる。」



ハムドーに限らず、上記のAPSAのメンバーも同様である。彼ら自身を、そして彼らの「意志」を武器に、文化財を取り巻くこれ以上の無法状況を打開できないものか。



文化財に限らない。他の分野でも、現地にはなんとか秩序を取り戻そうと考える若者がいる。

シリアで「革命」が標榜されて3年が過ぎた。しかし皮肉にも今になって、未だに現地に残るこういった若者の意志により、真の「革命」が始まったように感じる。そして、それこそが古い体制が恐れていたものでもあるのだ。